お祭りで担がれるお神輿。
伝統的なお祭りのお神輿だと総重量1トンを超えることも珍しくありません。
そんなお神輿を掛け声をかけながら担ぐ姿は迫力満点ですし、お祭りの醍醐味でもありますよね。
が、そもそもあんな重いお神輿をなぜ担ぐ必要があるのでしょうか?
ここでは「お神輿を担ぐ意味や理由。そもそものお神輿の起源」等をご紹介。
その他、ちょっとしたお神輿事情等についてもまとめています。
日本の伝統的な「お神輿」。日本人としてぜひとも知っておきましょう。
お神輿を担ぐ意味や理由は?
お神輿をする理由は?
お祭り中にお神輿をみんなで担ぐ意味には諸説ありますが、よく言われているのは「神社の中から神様が出てきて、大きな力で穢れや災いを清めてくれるから」です。掛け声を上げながらお神輿を激しく上下させるのは、神様の力を高めるとともに、土地の豊作や大漁を願うためとも言われています。
なぜ御神輿を担いで町中を歩くの?
お神輿を担いで町や村を練り歩くことは「神輿渡行(みこしとぎょう)」と言われます。これは年に1回のお祭りの際に、お神輿に神様に乗って頂き、街のあちこちを回ることで地域の安全と繁栄を祈るためです。
神様に地域を直接回って頂くことで、より多くのご利益を頂くためですね。
お神輿は神様が地域を回る際に乗る「乗り物」というワケです。
神輿を激しく揺さぶる理由は?
また、お祭りによってはお神輿同士をぶつけたり、すごい勢いで動かしたり、回したり、激しく揺さぶったりもしますよね。「なにもそこまで激しくしなくても…。中の神様が落ちちゃわない?」と心配になりますが、これには神様からより多くの力を頂けるようにお願いするためだそうです。
天岩戸に隠れた「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」様も他の神々のどんちゃん騒ぎで岩戸から出てこられましたし、神様は意外に賑やかな事が好きなのかもですね。
お神輿を高く担ぐのは?
さらにお神輿を肩に乗せて高い位置で担ぐのは、神聖なる神様を敬い崇め称えるからです。そのため、お神輿を担がない時も決して地面等の低い位置には置かずに、高い台座の上で保管されるようになっています。
家の神棚なんかも、人よりも高い位置に設置されていますよね。
神様を自分たちよりも低い地面に座らせるなんてとんでもない事なのです。
神輿祭りはいつから?起源は?
縄文時代の収穫祭が起源説
お神輿の起源ですが、縄文時代や弥生時代に「作物の豊穣や狩りの成功を感謝したり、豊作を祈ったりするために行われていた収穫祭」が始まりとも言われています。その収穫祭の時に、お供物を祀る祭壇が「お神輿」になったのだそうです。
縄文時代や弥生時代は一定の場所にずっと住み着くのではなく、より豊かな土地に移動しながら生活していました。
この時、祀り祈っていた神様を置いていくワケにはいきませんよね。
ですので、神様が祀られている祭壇を皆んなで担いで違う土地に移動していたという説があり、これが「お神輿の起源」とも言われています。
ちなみに収穫祭に使われた祭壇はお祭り後には壊されて、毎回新しい祭壇が作られていました。
が、時代とともに移動生活していたのが、一定の場所に定住し住み着くようになると、神様がお住まいになる場所として「神社」が作られるようにまりました。
そして、お祭りの際にだけ神様が神社から出てこられるための「乗り物」として「神輿」が誕生したのだそうです。
奈良時代の反乱討伐が起源説
また、お神輿は奈良時代(西暦714年~794年)に誕生したという説もあります。この時代、九州で隼人の乱がという大反乱が起こりました。
困った天皇は、「武運の神様」として名高い八幡神(宇佐八幡宮)に反乱の討伐と国の平定をお願いします。天皇の願いを快く引き受けた八幡神。
その八幡神を神社から運び出すために作られたのが「お神輿」の始まりであり、八幡神はこのお神輿に乗って九州まで移動し反乱を鎮めた…という説もあります。
奈良時代の東大寺大仏建造が起源説
奈良の東大寺にある奈良大仏(東大寺盧舎那仏像)はとても有名なので、ご存知の人も多いですよね。この東大寺の大仏が作られたのは聖武天皇の発願がきっかけなのですが、何分大きな仏像であったため、かかる費用も莫大。
聖武天皇はその多すぎる費用をめぐり、貴族から大仏建造が反対するのではないかと心配していました。
すると、聖武天皇へ宇佐八幡宮の八幡神から「自分が協力して何がなんでも東大寺の奈良大仏を作り上げてみせましょう!」というお告げがあったのだとか。
そこで天皇はこの「八幡神」を奈良の都に移動させる事にしたのです。
そして八幡神を移動させる際に、天皇が乗る乗り物として作られたのが「鳳輦(ほうれん)」という屋根に金色の鳳凰が輝く立派な乗り物です。
この鳳輦がお神輿の原型になった…という説もあります。
お神輿が広まったのは…
このようにお神輿の起源には諸説ありますが、日本各地に広くお神輿が伝わるようになったのは平安時代(794年~1185年)になります。平安時代には、京都を中心にお祈りで悪霊や疫病を鎮め祓う「御霊信仰」が盛んになります。
始まりは京都でしたが、同じように悪霊を祓うために大阪や奈良、そして全国に少しずつお神輿が伝わっていきます。
そして、室町時代(1336年~1573年)には、各地の村祭り等で神輿を担ぐようになりました。
お神輿は何人で担ぐの?
次に、お神輿を担ぐ人数ですが、お神輿はとても大きく重いです。なので、かなりの人数で担ぐ必要が出てきます。具体的な人数は担ぐお神輿の重さや大きさにもよりますが、例えば台輪寸法1.8尺の担ぎ棒になると約45人くらいの人が入れます。
最低2人交代制、できたら3人交代制で90人~135人。
さらに渡御時の休み馬運びのお手伝い等が30人程度は必要になりますので、最終的な人数は120人から165人くらいになります。
令和元年 祇園祭 神幸祭 西御座神輿
ちなみに上の動画の「祇園祭で担がれる西御座神輿」になると総重量2トン以上。
こちらのお神輿は約50人で担ぐのですが、10分程で次の人に交代するのだそうです。
2トンもの重さを50人の肩で分散させるのですがから、それはちょこちょこ交代しないと肩がキツイですよね。
上の動画でもお神輿を担いでいる周りにたくさんの男の人達がいて、定期的に担ぎを交代している事がわかります。
「早めに代わっていこう」という掛け声も聞こえますし、総人数になるとかなりの人数が必要ということになりますね。
お神輿担ぎ続けると…
【悲報】神輿を担ぎまくった結果w w w w w
ちなみにですが、こんなに重いお神輿をずっと担ぎ続けていると肩に大きなコブができ盛り上がります。
上の動画はかなり極端な例ですが、このくらい大きなコブができることもあるんだとか。スゴイですよね。
このコブについては以下の記事にまとめていますので、良かったらこちらもどうぞです。
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お神輿の起源まとめ
いかがだったでしょうか?お神輿の起源には諸説ありますが、お神輿は「神様が乗る乗り物」であり、お神輿を担ぐのは「神様の力で穢や災い清めてもい、地域の豊作や繁栄を祈るため」という事がわかりましたね。
またお神輿はとても重く、50人くらいで担ぐことも!
ずっと同じ人だけで担ぐのはムリなので、交代制で担ぐことも考えると総勢100人以上がお神輿担ぎに関わっていることになります。
これだけの大勢の人が関わるお神輿なのですがから、迫力満点なのも頷けますよね。
日本独自の素晴らしいお神輿を今後も引き継いでいきたいものです♪